廬山寺【京都市上京区】
京都御所の寺町通を北上して廬山寺に来ました。隣接する清浄華院と共に来たかった場所です。ここは上野の両大師と同じ元三大師を祀るお寺ですが、それよりも有名なのが『源氏物語』の作者、紫式部の邸宅跡という場所です。
しかも、その事実が分かったのがほんの50年前というのが驚きです。
紫式部邸顕彰碑があります。
「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
雲がくれにし夜半の月影」
百人一首にもなっている紫式部の歌が刻まれています。小学生の頃、授業の一環で覚えました。それにしても、改めて読むと本当に綺麗な歌ですね。
「久しぶりに会った幼友達だけど、貴女だと分かるかどうかの時間でまたお別れする事になった。まるで雲間にサッと隠れる夜半の月のよう」
『源氏物語』の作者らしい、平安時代のコバルト文庫小説の一節みたいに乙女な雰囲気が滲み出ています。
『源氏物語』は中学の頃、大和和紀の『あさきゆめみし』で読んで以来、いまだに大好きな作品です。紫式部も大和和紀も天才かよ、と思います。1000年の時を越えて語り継がれるなんて凄いですよね。
山門をくぐり、大師堂でお参りした後に右奥へ行くと本堂へ入る受け付けがあります。そこから「源氏庭」を観賞できます。このときは秋季特別展『源氏物語と廬山寺』が開催されていて、「与謝野晶子 筆 源氏物語礼賛」など『源氏物語』に纏わる貴重な書画や掛け軸などが展示されていました。
御朱印も受付でお願いして、待つ間に展示品と源氏庭を眺めていると本当に静かで眠くなってきました。紫式部もこうやってうたた寝してたのかなぁ。
御朱印は四種頂きました。
洛陽三十三所観音の如意輪観音です。
紫式部邸跡の御朱印です。
そして、元三大師の御朱印です。元三大師が鬼の姿になった角大師が押されています。これ、良いキャラクターですよね。
京都ゑびす神社【京都市東山区】
さて、京都日帰り自転車巡りも午後2時を過ぎてきてしまい、残りの時間どう回ろうかと考えながら建仁寺を後にすると目の前にゑびす神社が見えました。
ここは大阪の西宮神社、今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称される場所です。二の鳥居には大きなゑびす様と福箕。なんでもこの箕に賽銭を投げて入ると願いが叶うといいます。バスケのフリースローみたく左手はそえるだけで投げてみました。
僕の願いは受け取ってもらえたようです。
ゑびす様は耳が遠いらしく、本殿前でお願いしただけでは声が届かないらしいです。初めて聞きました。あんなに福耳なのに。
なので、本殿左奥の壁をドンドンと叩いて、再度「お詣りに来ましたよ」と伝える必要があるんだそうです。面白いですね。
本殿の手前に菅原道真を祀った天満宮があります。なかなか凛々しい「撫牛」が居ました。でも、天満宮と牛の繋がりってなんだろか?と調べると、天満宮の聖獣が牛であり、菅原道真の乗り物でもあるらしいです。
農耕や雷神である道真公と農耕の象徴であった牛が結びついて現在に至るんですね。
境内には至る所にゑびす様が鎮座していました。
ゑびす神社は都七福神の一つでもあるので、今度京都に来たときは残りの七福神も廻ろうと思います。という事でゑびす様の御朱印を頂きました。
禅居庵(摩利支天堂)【京都市東山区】
建仁寺の塔頭にある禅居庵は、鎌倉時代に建仁寺の住職として招かれた清拙正澄が自身の守護神である摩利支天を祀った堂を建てた事から摩利支天堂と呼ばれるようになったようです。
摩利支天は猪の背に乗っている事から猪年の守り神だという事で、摩利支天堂には狛犬ならぬ狛猪が所々に鎮座しています。
手水も猪でした。可愛いです。
摩利支天と言えば自分は『花の慶次』で知りました。信長に桶狭間での勝利を告げたのが摩利支天の巫女だったり、戦国時代の勝利の女神みたいな存在だったというイメージです。元は古代インドの女神マーリーチーと言われていますね。
ここは金沢の法泉寺、上野アメ横の徳大寺と並んで、日本三大摩利支天というそうです。今度、アメ横の徳大寺に行こう。
御朱印は書置きですが、荒々しくて良いですね。
建仁寺【京都市東山区】
八坂神社から清水寺に後ろ髪ひかれつつ建仁寺へ戻ってきました。9時前に来てしまった時はガランとしてたのが、昼もまわると観光客でいっぱいでした。
建仁寺は拝観で堂内の写真が自由に撮れるというのが凄いです。なんでもキヤノンの協力で復元された襖絵だとの事で、その技術を世界に発信するためにも撮影自由にしているんですかね。でも、確かに凄いです。
いきなり「雲龍図」からでしたが、迫力すごいです。
写経道場のコミカルな襖絵は、なんだか吉田戦車の漫画みたいな可愛さがあります。
「風神雷神」圧巻です。
そして、法堂の天井に広がる「双龍図」の迫力たるやスマホのカメラじゃ再現無理でした。見上げすぎて首が痛くなりました。
御朱印帳はオリジナルで「双龍図」のと「風神雷神」がモチーフになったものがあります。さんざん悩んで今回はこちらだけにしました。カッコいいです。
御朱印には「拈華堂(ねんげどう)」と書かれています。法堂の別名ですね。
流れるような綺麗な御朱印です。
八坂神社【京都市東山区】
知恩院からそのまま円山公園を回って八坂神社に来ました。なんだか修学旅行生と外国人観光客でカオスでした。外国人で思ったんですが、京都って中国人より欧米、東南アジア系の団体が多い印象でした。たまたまなのかな?
蛭子神社のえべっさんと狛犬の並びが、狛犬まで笑っているように見えて可愛かったです。微笑ましい。
大國主神社の大国さまと白兎も可愛いです。
悪王子神社ってすごい名前だなぁと思ったけど、この「悪」って「強力」っていう意味で、素戔嗚尊の荒魂が祀られているんですね。
少し足を延ばして円山公園内の龍馬と中岡慎太郎像も見てきました。桜の時期も良さげですね。このまま霊山護国神社まで行きたかったですが、また次回。
本当は平安神宮で購入した御朱印帳に青龍朱印を頂くつもりだったんですが、限定数量に達してしまっていたようで頂けませんでした。制限あるの知らなかったです。
悪王子社の御朱印も頂きました。次回は他のも頂ければと思います。
知恩院【京都市東山区】
南禅寺から地下鉄東西線の東山駅方面へ南西に向かいます。平安神宮から神宮道を真っ直ぐ南下する場所に広大に広がるのが知恩院です。今回、永観堂と共に自分の中のメインの一つでした。
浄土宗の総本山であり、法然上人の没した地であり、徳川家康の菩提寺でもある知恩院です。家康400年忌記念の御朱印と三門特別公開記念の御朱印を戴くのも目的の一つでした。
多宝塔です。
阿弥陀堂の脇に桜が咲いていました。
法然上人御堂です。従来は集会堂というらしいですが、御影堂の修繕期間中は「法然上人御堂」と呼んでいるようです。期間中だけなのかもしれないですが、元祖大師御尊像の御尊顔を拝めます。
さすが家康ゆかりの場所だけあって、そこかしこに葵の御紋が見られます。
この階段の上に勢至堂や濡髪大明神があるのですが、体力的に階段昇れる自信がなくて今回はやめておきました。次回は勢至堂にある紫雲水のモリアオガエルの産卵の時期とかにあわせて昇りたいですね。
大鐘楼です。ここも階段が急でしんどかったですが、なんとか頑張りました。それにしても間近で観るとデカいです。
御影堂は2019年まで大修理。
御朱印を頂く小屋の脇に葵の御紋を背負った象が並んでいました。これなんだろう?すごく良いなぁと思わず写真撮りました。
さて、当日は三門が特別公開中でしたので、拝観料を払い昇ってみました。階段がとんでもなく急な勾配で、綱を握って昇る仕様でした。そして、絶景。南禅寺に負けない絶景なんじゃないでしょうか?
楼上内部は仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像が整然と並んでいますが、圧巻でした。圧倒されます。また、壁や天井には狩野探幽とその一派による天女、飛龍が極彩色で描かれていて、荘厳な雰囲気に息をのみます。
御朱印は5種類を頂きました。達筆で感動です。
まず法然上人。
勢至菩薩です。
圓光大師二十五霊場の御詠歌の御朱印です。
そして、家康400年忌の記念の御朱印。「欣求浄土」と葵の御紋です。
南禅寺【京都市左京区】
自転車を降りるとすぐ目の前にそびえ立つのが有名な三門「天下龍門」です。歌舞伎の演目で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言うのが、この三門からの眺め。確かに人がゴミのように小さく感じます。
三門を潜ると法堂があります。その奥に本坊、方丈という建物が続きます。そちらから庭園が観賞できます。
こちらの小方丈庭園は、別名「妙心庭」といい文字通り「心」を庭石で表現している枯山水の石庭です。なんだか禅寺らしい見立てだなぁと思います。
そして南禅寺と言えば「琵琶湖疏水の水道橋」です。ブラタモリでやってました。確かに当時の人からも賛否両論あったのは分かる違和感ですね。
南禅寺の御朱印帳は、狩野探幽による襖絵「群虎図」が再現されています。
なんとも豪華な装丁です。
御朱印には「金剛王宝殿」と書かれています。
ところで南禅寺と言えば「湯豆腐」ですが、昼時で凄い混んでましたので、いいなぁと指をくわえて通り過ぎました。
また、そばには「美味しんぼ」のお粥の回でも登場した瓢亭もあります。
財布に余裕を持たせて朝粥、食べたいですねぇ。