大樹寺【愛知県岡崎市】
大樹寺は松平家、徳川家代々の菩提寺です。大樹寺といえば有名なのが、桶狭間の戦いで敗走した家康が自害しようとした時、それを思い留まらせたのが大樹寺の住職の「あなたには、この世を住み良い浄土とする役目がある」という言葉。
それがその後の家康の馬印「厭離穢土 欣求浄土」となりました。
大樹寺の三門・総門からは真っ直ぐ3キロ先の岡崎城が望めます。それは、三代将軍家光が「大樹寺から祖父の地である岡崎城が何時でも望めるように」と伽藍を配置した事に由来して、今でもビスタラインと呼ばれるライン上の建物は高さ制限がされています。400年の時を超えて、想いが続いているって良いなぁと思います。
天気が良い日はクッキリと岡崎城のシルエットが見えます。
御朱印帳も購入しました。シックなデザインの中に葵の御紋が渋いです。
御朱印には先ほどの「厭離穢土 欣求浄土」が書かれています。
伊賀八幡宮【愛知県岡崎市】
龍城神社【愛知県岡崎市】
今年は徳川家康の薨去400年の記念祭やイベントを家康ゆかりの各地で行っています。我が実家の岡崎市も家康生誕の地として岡崎城を中心に浜松や静岡などと共に年間通して記念事業が展開されています。
という事で、帰省した時に自転車と車で回ってきました。家康が生まれた岡崎城です。すぐ横に鎮座しているのが龍城神社。
その昔、岡崎城が竣成の日に城内の井戸から龍神が現れたという話から岡崎城は龍ヶ城と言われるようになり、家康誕生の日にも金色の龍が出現したといわれています。龍城神社は当初、家康を祭神として東照宮を天守に祀り、その後に本田忠勝を祭神とした映世神社と合祀されて現在の場所に遷座されました。
最近は『刀剣乱舞』の影響で忠勝の蜻蛉切があるせいか若い女性が行くたびに多く見られますね。コスプレイベントなんかも頻繁にやってるようで。
龍城神社では、神社用の御朱印帳を購入しました。表面には岡崎城から昇る龍、裏面には葵の御紋という素晴らしい装丁です。
御朱印にも「はらい」を龍のように見立てているのがポイントですね。
東本願寺【台東区西浅草】
浅草にある東本願寺です。元々は京都の東本願寺の別院でしたので、浅草本願寺と呼ばれていました。という事で、浄土真宗のお寺ですが御朱印が頂けます。
何故か?
というのは「お東騒動」とかで検索すると喧々諤々な顛末が出てきます。
暖簾分けして出来たラーメン屋が、本家から完全に独立して独自の味を出していく中で伝統を打破していった結果、みたいなものかなと勝手に解釈しています。
東本願寺といえば葛飾北斎の『富嶽三十六景 東都浅草本願寺』は当時の巨大な本願寺の屋根と富士山を並べて、その雄大さを表現しています。
また、落語の世界では『唐茄子屋政談』という演目で、「誓願寺店(せいがんじだな)」という言葉が出てきます。これは、東本願寺の裏手の石堀の並び辺りに元の誓願寺があって、その周辺の貧しい一帯を「誓願寺店」と言ったようです。若旦那がヘトヘトになって一服した場所がこの辺りなんですね。
志ん朝師匠による『唐茄子屋政談』は一品です。
さて、御朱印には「光雲無碍」と書かれています。これは本尊である阿弥陀如来の光が雲のように潤いながら澄み渡り広がり、何も遮るものがない様を表しています。良い言葉だなぁと思いますね。
長國寺【台東区千束】
鷲神社に隣接している日蓮宗の寺社で、浅草酉の市発祥のお寺としても有名なこちらも、二の酉の片づけで閑散としていました。
御朱印は書置きを頂きました。
「浅草 田甫」と書かれているのが、江戸時代にこの裏手から先が新吉原の田園地帯が広がっていた事の名残なんですかね。この辺りを歩くと落語の世界がイメージ出来て良いですね。三の酉で再訪予定です。